安保法安と新国立競技場
今回は、今話題の安保法安と新国立競技場について一言。
政治的なことなので、経営者としてはちょっと気を使いますね。
連日のようにマスコミを賑わしていますが、どうもピンとがずれている様な気がしてならないのです。
安保法案に関しては、法案の審議段階では本質が解らないような質疑と応答が繰り返されているし、
憲法学者が「安保法案は違憲」と云ったら憲法違反が騒がれ、戦争をする国になるだの、徴兵制だの・・・
国民に考えさせない様にしているのかと思うほど本質からづれたことが報道されています。
私は憲法学者でも専門家でもないが、自衛隊は憲法9条に云う処の武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、これを永久に放棄する。に違反していると考えます。
しかし、自社さ政権時代に自衛隊を認めたわけだから、自衛のための武力の保持は政治的には合憲なのか。
ここで個別的自衛権は合憲で集団的自衛権は違憲とするのも私の頭ではよく判りませんね。 トホホです。
我々国民が知りたいのは、学者の様な憲法論議でもないし、米軍が攻撃されそうだとかされた時だとか、
機雷掃海が戦争行為だとかの些末な事象の言葉遊びでもなく、国防戦略の本質なのです。
自国と国民と財産を守るためには何が必要なのか、どうすることが求められるのかと云う本質的な判断材料が欲しいのです。
国防を政争の具にしてはならない。
自民党のみならず、民主党も維新も政権政党としての立ち位置から国防を論じてもらいたい。
こんなに違っていたんでは、政権交代など出来よう筈がない。
参考資料
現代ビジネス http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44269
高橋洋一「ニュースの深層」
集団的自衛権巡る愚論に終止符を打つ! 戦争を防ぐための「平和の五要件」を教えよう 2015.7.20
Wedge 8月号 Opinion欄
新国立競技場の問題も同様に、1300億円が2500億円に増えた。建設費が高い! 見直す! 責任論。
ここでも本質論は見えない。
そもそも、陸上競技だけではなくサッカーやラグビー、コンサートまでできる様にしようってんだから、
北京の競技場と建設費を比べても仕様が無いじゃないのかな。
まして建設費が高騰している現在、なおかつ狭い都心の真ん中に。
あれもこれも要求して、一旦建設費が高い世論が騒ぎ始めるとみんながみんな勝ち馬に乗るがごとく、
正義の使者のごとく・・・
政治家迄もがである。
挙句の果ては、採用されなかった建築家が出てきて自分の考案した方法を宣伝する始末である。
初めの1300億円だって妥当だったか不明なのに。
国民の理解が得られるような競技場にしてほしいと云ったTVのコメンテーターが居たが、
何をかいわんやである。
何だか滅入ってきてしまったので、帰ります。