新年を迎えてマスコミはいよいよ喧しい。
SMAPの独立問題やベッキーの不倫問題、
あの悲惨な軽井沢のバス事故や廃棄食品横流し事件等々。
そんな中でバス事故と廃棄食品横流し事件は同根の様な気がする。
バス事故ではバス会社や旅行社への国交省や厚労省などの指摘や
違反の話が出ていますし、カメラ映像からスピードの出しすぎだ等の
コメントがなされています。
横流し事件では、みのりフーズの実質的経営者の映像が流されています。
事故車の検証では、ブレーキに異常はなかった。
チェンジシフトがニュートラルだったとの発表がありました。
しかし、そもそも運転手はブレーキを踏んだのだろうか?
大型バスの経験は無くてもスピードが出すぎたとなれば、ブレーキを踏むでしょう。
誰でも。
子供でも自転車のブレーキレバーを握りますよ。
中型バスや大型ダンプの乗務経験があるなら、エンジンブレーキや
排気ブレーキの存在は知ってますし使いますよ。
何故、シフトがニュートラルだったのか?
スピードが出すぎてシフトダウンできなかったのか?
それならば何故、フットブレーキで減速しなかったのか?
減速できなかった可能性もあります。
廃棄食品の横流し事件も、何故横流しが公然と行われていたのか?
マニフェストが有ったのに。
契約は法学に載ってる様に常に対等の立場で行われるのではありません。
仕事が無い方は常に弱い立場で、理不尽な要求でも飲まなくてはなりません。
安いものに食指を動かされるのも人情でしょう。
欲と理性のシーソーは、いつも動いているものです。
日本の法制は建前や形式的なものが多数あります。
以前にもニュージーランドの車検場の紹介で書きましたが、
日本の車検制度では、ブレーキ制動力テストは空荷で測定します。
空荷ですから、ブレーキを踏むとタイヤがロックしてその下の
テスト用ローラーが空回りするだけなので、
荷を積んだ状態でブレーキが効くのか効かないのか判りません。
殆どのトラックやダンプカーやバスは荷物や乗客が満載の時には
ブレーキの制動力は大幅に甘くなるでしょう。
廃棄物も同様です。
廃棄物の処理にあたってマニフェストが有りますが、最終の確認を
誰もしていないのです。
性善説に立つと云えば聞こえはいいのですが、言い訳にしか聞こえない。
日本の法規制は誠に細かなことにも及んでいます。
どんな企業でもどんな人でも誰もを犯罪者にすることができる程に
網羅されていますが、その運用は恣意的であり責任逃れ的でもあります。
欲と理性のシーソーのバランスが崩れないようなシステムの構築が必要ですね。
私たちは常に事の本質が何処にあるのか注視しなくてはならないと考えます。