早いもので、既に2月も半ばを迎えてしまいましたが、
明けして おめでとうございます。
先週、ミャンマーに行って来ました。
工場の建設が着々(?)と進んでいました。
2階建ての部分は店舗と休憩室と研修室です。
中央から右側が工場部分です。
日本で基本的な設計をしたんですが、
やはり同じ様には出来ませんね。
同じ様な資材が手に入らないこともあるんでしょうが、
考え方や機材の違いにもよるんでしょう。
鋼材などは至る所で継ぎ足されていますよ。
日本では考えられないですけどね。
3月中旬頃から5月頃までが暑期で、
その後5~6ヶ月間の雨季に入りますから、
何とか4月中に完成したいと思っているのですが・・・。
4月8日(水)に現地で竣工式を行います。
多少の遅れは仕方が無いので強行します。(笑)
OPENは4月の下旬型5月上旬になりそうです。
5月のGWに視察と激励を兼ねて社員旅行に行こうって言ってるんですが、参加者が少ない。
何でなんですかね?
弊社では、社会勉強も含めて2~3年毎に海外に社員旅行を企画すんですが、
いつも参加者が少なくて税務署からこれでは社員旅行じゃないって云われて課税されちゃうんです。
アメリカだろうがヨーロッパだろうが中国だろうがカナダだろうが、いつも少ないのです。
そんなに会社の連中と行くのが嫌なのか、海外に興味が無いのか、解りません。
ところで、今話題のトマ・ピケティ著の「21世紀の資本論」読みました?
私は、500ページもある本は、枕にしかならないので買ってませんが、
格差社会の拡大や固定化を解決しよう云うものです。
この本に関しては、世界中の経済学者や政治家・俄か学者達が様々な意見を発していますが、
格差の是正に関して反対する人は殆んどいないと思います。
問題は、その方法と程度ではないでしょうか。
日本でも格差社会などと聞かない日は無いくらい叫ばれてます。
しかし、外国と比べればそれ程大きな格差が有るとは思えませんけどね。
確かに、体に障害が有ったり失業したりして収入が少ない人達が居ることは承知していますし、
その社会的保障や扶助に於いては不十分な処もあるんでしょうけど。
日本で一般的に格差の象徴的に云われる非正規雇用者の問題は、
法律によって正規雇用させれば済むという問題ではないと考えます。
ミャンマーへの進出を考えて、設立時には国に帰ることを条件に一昨年
ミャンマー人を雇用しましたが、昨年ミャンマーに行くように話したら賃金の話になり、
工場が稼働していないので当分の間は月額300ドル位だろうと伝えたら、
親に毎月10万円送金しているのでその金額では働けないと云って退職してしまいました。
ミャンマーでの仕事で10万円を送金できるほどの賃金はとても払えない。
そのことと逆のことが日本の製造業に起こっているのです。
私は100均の商品とか、その他の海外製の安いものは出来るだけ買わない様にしています。
安物は大切にしないから返って環境に優しくないし、日本に雇用を生まないからです。
私たちは消費者である反面、生産者でもあるのです。
買うものは安ければどこで造った物でもよくて、仕事は国内で、給料は高く生活を保障しろ。
そんなことは成り立たないでしょう。
グローバル化する中で企業も職業も労働者に求められる能力も大きく変わってきています。
これまでと同じような職業やこれまでと同じような意識・能力、制度ではやっていけない日が
来ているのだと思います。
中学1年程度の数学が出来ない大卒、太平洋戦争の敵国を知らない大卒、本を読まない大卒、
英語もろくに話せない大卒、47都道府県が言えない大卒、海外に興味が無い若者、
自分が関わる狭い範囲にしか関心を示さない若者。
政治が悪い、文科省が悪い、学校が悪い、先生が悪い、親が悪い等と云うつもりはありません。
云ったところで過去は取り返せません。
若者たちには可哀相ですが。
日本人にしかできないこと、日本でしかできないことは何か?
その日本人がこれからも豊かに暮らしていくには何が必要か?
どんな能力が必要なのか?
どんな教育が必要なのか?
どんな資質が求められるのか?
どんな『価値』が提供できるのか?
政治にそして我々自身に『未来への戦略』の構築と断行が『今』求められているのだと思います。
ミャンマーとミャンマーの若い人達を見ていて強く感じます。